こんにちは、
カウンセラー&ヒプノセラピストの 蒼乃ひろこです。
カウンセリングを受ける時は、「カウンセラーってどんな人なんだろう…」と不安になりますね。
ご自身に合ったカウンセラーを見つけることはとても大切です。
私のことを少しでも知って頂き、一歩を踏み出すきっかけになればと思い、プロフィールを掲載しています。私が抱えていた悩み、どうやって克服してきたか、どうしてカウンセラーになりたいと思ったのか、読んでみてもらえたら嬉しいです。
最初に簡単なプロフィールを載せています。興味がありましたら、後の詳しいプロフィールをお読みください。
簡単なプロフィール
小さい時は、毎日酔っ払っていた父が大嫌いでした。父から受けた「お前は間違っている」というメッセージをずっと抱えて生きていきます。
中学では先生のことが大嫌いになり、仕事でも上司がことごとく嫌いでした。いつも誰かを批判していて、怒りでいっぱいでした。
自分の中にある二面性にも悩まされました。内向的な自分と外交的な自分がいて、自分の居場所がないような感覚がありました。後になって自分がHSPだと分かり納得します。
どうして私はこんな人間なんだろう?なんで私は生まれてきたんだろう?という疑問が小さい頃からありました。
自分が嫌いで、人も嫌いで、何かを変えたくて、行動力も決断力もなく、恥ずかしがりやで、人見知りの私が、なんとか勇気を振り絞ってアメリカに行きます。
人間関係で辛くて一人ではどうしようもなかった時、ヒプノセラピーを受け前世を見ました。毎日泣いて、苦しくて苦しくて、どうしていいか分からなかった悩みが、1時間で噓のようになくなりました。
それからスピリチュアルな癒しの旅がはじまります。潜在意識とつながるワークをし、父との関係を見直したことで私の心は軽くなりました。心の声を聴くことで、少しずつ変わり始めたように思います。
瞑想を始め、ヴィパッサナー瞑想という、10日間、沈黙で一日10時間瞑想するという瞑想にも取り組み始め、20日間コースも行いました。またアメリカにあるヴィパッサナー瞑想センターで2年間長期奉仕者として、ボランティアとして従事しました。
その後日本に帰国し、慣れない生活の中、会社勤めを始めましたが、HSPの私には毎日ストレスな日々でした。軽いうつ状態になり、本当にしたいことを考え始めました。
ライフコーチ、カウンセラー、ヒプノセラピストの資格を取り、その心理ワークを自分にも使うことで、更に自分自身の深い心の傷を解放し、自分の居場所を見つけ、心が楽に生きれるようになりました。
他の誰かが同じように悩んでいるなら、少しでも一緒に歩いて行きたいという思いでカウンセリング&ヒプノセラピーを始めました。
主な職歴:塾講師、日本語教師、放課後デイサービス児童支援員、介護、マッサージセラピスト
詳しいプロフィール
5歳。大嫌いだった酔っ払いの父
5歳の頃、父親が嫌いと思った瞬間を今でも覚えています。
父とは寝る前に握手をするという習慣があったのですが、ある日、「握手をしたくない!」と思ったその瞬間をはっきり覚えています。
私の父は、仕事には行っていましたが、毎日6時にはまっすぐ家に帰ってきて、お酒を4,5時間は飲んでいたと思います。毎日酔っぱらっていました。
父が酔っぱらい始めると、いつも私は捕まって、ちょっとここに座れと言われ、父の隣に座らされ、説教を聞かされました。何時間も座って話を聞き、私の言っていることは聞いてもらえず、何を言っても間違いだと言われて、私はただ、
「お前は間違っている」というメッセージを受け続け、
何を言っても怒られていました。いつも泣いていました。私が言えることは「はい」という言葉だけでした。
父親が大嫌いでした。
私が怒られると兄たちも呼び出されて怒られるので、「お前のせいで俺らも怒られた」と言って、私は父親の後に兄たちにも怒られる。年上の兄には言葉でも力でも叶わないので、何を言っても仕方ないと思うようになり、家では何も話さないようになりました。
「自分の言いたいことを言ってはいけない」
「私は間違っている」
家ではこの二つのことを学び続けたような気がします。
高校入学。独りぼっちのクラス
高校生になり、クラスで友達を作る時、女子特有のグループが出来上がりましたが、私はどのグループにも入ることが出来ませんでした。
小さい頃からあった恥ずかしがり屋の気質と共に、今思えば、大勢の中でうまく入っていけないというHSPの気質が表に出てきたころです。少人数の部活動では友だちもちゃんとできていました。
大学に入っても、大勢の中に上手く入ることが出来ず、大きなグループの人たちがすごく苦手でした。半面、アルバイト先は少人数で楽しく過ごしていました。
自分の居れる場所と居れない場所がはっきり分かれていて、
私はどうしてこんな性格なんだろう?
どうして生まれてきたんだろう?
という漠然した疑問を持っていました。
不安、決断できない、ぐるぐる回る思考
大学に入ってから、なぜかアメリカに行きたい!と強く思い始めます。
日本での人間関係などで居場所を見つけられなかったことが多かったので、もっと違うところへ行きたい、違う人と会って、違う文化、考え方を知ってみたいという好奇心に駆られます。
ただ、私は人見知り、恥ずかしがり屋、また居場所がなかったら…不安だらけでした。
大学の1年の夏休みに行きたかったアメリカホームステイですが、旅行会社の店頭でパンフレットを取っただけで、質問をするのも恥ずかしくて、何もできず、夏休みは終わってしまいました。2年の夏休み、「今度こそっ!」と思っていたその年も、恥ずかしくて、決断できなくて、行動する勇気がなくて、また過ぎてしまいます。
4年生になると就職活動で夏休みはいけないだろうから、3年の夏休みが最後。「これを逃したら、もう一生いけないっ!」と思い、勇気を振り絞って申し込みをし、晴れてアメリカ、ロサンゼルスへ1か月ホームステイに行くことができました。
日本とは異なる文化、人、空気感。違う価値観で生きている人がいて、違ってもよくて、間違っても受け入れてくれる、そんな体験をして日本に帰ってきます。
アメリカでの体験が忘れられず、もう一度アメリカへ行って1年住みたいと思い、日本で働きながらお金を貯めます。この時も、まだ怖くて、本当に1年も外国に一人で住めるだろうかと不安で、「行きたい!」「でも怖い!」がぐるぐる回り、2、3年は決心がつかず日本に居続けます。その間にビザを取得するのが難しくなり、「こんなぐずぐずしていたら、一生行けなくなってしまう!」と思い、やっと決断し、アメリカへ。1年間、前ロサンゼルスで住み始めます。アメリカの文化、人に触れ、また他の国から来た人々と友達になり、楽しい日々を過ごしました。
そして1年後一度日本へ帰国しますが、やはりアメリカで住みたいと思い、再びアメリカへ。そこから私は20年間ほどアメリカで住むことになります。
一人ぼっちのアメリカ、ぼろぼろの精神状態
アメリカで最初に通った学校で日本人の子と知り合いました。少し変わった子で、なぜか私に色んなスピリチュアルな事を語り始めました。最初は全然興味もなくて、ただ熱心に話している彼の話しを聞いていただけでした。
それから数年後、私は人間関係で辛い体験をしました。
知り合った男性の精神状態が良くない時で、彼に振り回され、やりたくないことを強制され、そして彼の自殺願望が出てきて、私はどうしていいのか分からず、おろおろするばかり。自殺するといった次の日に、突然いなくなったり…
そして彼が犯罪に触れることをしてしまい、刑務所へ。私は別に彼を助ける義理も何もなかったのですが、自分が助けないとだめだと思い込み、慣れないアメリカの文化とそんなに上手じゃない英語で、必死に支えようと頑張ります。数か月後、彼は刑務所から出てきますが、私の存在はなかったかのように振舞われて、私は無力感に陥ります。
私の精神状態もぼろぼろになり、一人ではどうしていいのか分からず、毎日泣いていました。
毎日て泣いて泣いて、苦しくて苦しくて、どうして立ち直っていいのか分からない…
そんな日々が続きました。
セラピーを受け、たった1時間で 悩みが嘘のように消える!
そんなある日、私はスピリチュアルな友だちが以前に紹介してくれた先生のことを思い出します。一人では立ち直ることが出来ないと分かっていたので、何故かその先生に瞑想を教えてもらって立ち直れるかもしれないと思い、連絡を取り会いに行きます。
その日は少し先生と話し、瞑想を教えてもらいました。そして思いかけず、前世を見てみますか?と聞かれ、ヒプノセラピー(催眠療法)でその男性との前世を見ました。そして、私の抱えていた悩みは一気になくなりました。嘘のようでした。
あんなに辛かった日々、毎日泣いていた日々、心が重くて苦しかったあの日々が、たった1時間で消えてしまうなんて…
その先生は、ある日、天から光が降りてきて、その光に包まれ、人生が180度変わったという方で、一時は壁の向こうの物体が見えていたそうです。私はその先生に数ヵ月定期的に会い続け、先生と話し、スピリチュアルな教えをもらい、前世療法や瞑想などに取り組みながら、今まで自分がずっと抱えていた疑問、「なぜ私は生まれてきたのか?」「なぜ私は私なのか?」が紐解かれていき、悩みが少しずつ解消されていきました。
ずっと憎しみと怒りでいっぱいだった。
私の小さい頃からの疑問は紐解かれていきましたが、まだまだ序章で、まだ私の心の奥にあるたくさんの荷物をおろし、自分自身を癒して行きたいと強く思い始めます。
父親から始まり、中学の先生、仕事で出会った上司はことごとく嫌いでした。権威のある人たちに対して、ものすごい反抗心があり、嫌いで嫌いでどうしようもありませんでした。上司のことを心の中でいつも批判して、自分は正しい、相手は間違っていると思っていました。ある上司には、怒りがあふれて、文句を言って次の日に辞めたこともあります。心の中で相手を批判しても、それはただ自分自身に返ってきて自分を苦しめるだけでした。
いつも自分の中にある憎しみや怒りで、私はいつも幸せではありませんでした。
そしてやっと気づきます。ずっと友達や上司を批判して、怒っている…それは父親の姿だと。娘の私に対して「お前は間違っている」というメッセージを送り続けていた父親、そして、先生や上司に対して批判し、怒り、「あの人たちはは間違っている」と思い続けている私。
「私は父親と同じだ。」そう気づいた時はショックでした。でもそれは、私の中の憎しみと怒りを癒し始めることが出来るチャンスでした。
「私は間違っている」ぐるぐる思考…このままじゃ幸せになれない!
もう一つの悩みは私の内向的性格でした。
恥ずかしがり屋で人見知りなのに、好奇心旺盛で冒険して挑戦したいという二面性を持った性格で、これがしたいと思ってクラスなどを取っても、人とうまく溶け込めなかったりして、自分の中の矛盾や、やりたいことをやれないジレンマにいつも陥っていました。
日本語でも人見知りで、特に大勢の人がいるところでは話しかけられない私が、自信のない英語で、アメリカ人や外国人に話しかけるのは、何十倍の勇気が必要でした。
英語を話すと、自分の間違いに気づき、心の中で「あっ!間違えた」と思い、その後はそのことで頭がいっぱいで、「間違えてしまった」、「恥ずかしい」、「馬鹿にされているかもしれない」、「どうしよう」… 頭の中で、ぐるぐるぐるぐる、自分の間違いを叱責する日が続きました。多分、誰も気づいてないような間違いや、気付いたとしても、誰にでもあるような些細な間違いでも、私には一大事でした。
クラスをとっても、いろんな人がいる中で、私はいつもドキドキして、自分の意見なんて、間違えるのが怖くて全然言えません。
好奇心いっぱいでたくさんクラスを取りましたが、いつも居心地の悪い思いをしていました。みんな気さくに話してくれますが、私はオープンになれることが出来ませんでした。
人見知りと英語を話して間違いを犯すのが恥ずかしく、どこへ行っても自己表現できないことと、父親の影響で「いつも自分は間違っている」という感覚があることに気付きました。
またある時、仕事を辞めて、2か月間ニューメキシコ州サンタフェに滞在をして、アメリカ人の家の部屋を貸してもらいながら、長い休みを取ることにしました。
ネイティブアメリカンの文化を生きているヒーラーの方と一緒に住ませてもらうという最高の状況でした。でも、私は英語で良く知らない人と話すのが恥ずかしくて、たくさん話しかけてもらって、よくしてもらったのにも関わらず、オープンになれず、話すことができず、悪いと思いながらも何も返すことが出来ませんでした。
この時は、自分の人見知りさが本当に嫌になりました。
どうにかしないと…このままじゃ、幸せになれない…
潜在意識での体験「私は愛されていた!」
そして私は本格的に自分を癒すことを決め、ロサンジェルスにあるサイキックになれる学校に通い始めます。そこでは自分を癒し、また他人を癒す方法を学び、直観力を上げる方法を学ぶ場所でした。
その中で自分の潜在意識とつながり、もうとっくに亡くなっていた父のことを見ます。
彼がどうして私を批判し続けたのか、その意味を私になりに理解して、涙があふれだしました。彼は私の父である前に、一人の人間として苦しんでいたんだということが理解できました。
私は初めて父とつながったような気がしました。
また別の時にクラスの途中で、瞑想状態にあった私は、「私は愛されていた」という強烈な体験をします。
いつも怒られて、いつも間違っていると思っていた私も、本当は愛されていた、それは両親とか誰かに愛されていたというものではなく、私が大いなる存在に愛されているという、言葉では表すことのできない素晴らしい体験でした。涙があふれ出てきました。
ぐるぐる思考再び! 最高の決断をして恥ずかしさ克服
その学校では英語でサイキックリーディングをするため、話さなければならないことが大変多く、苦痛だった私は、知人に紹介されたスピーチのクラスを取って、「間違うことへの恐れ」と「恥ずかしがり屋」の克服に乗り出します。
人前で英語でスピーチをするという怖れと闘うと決め数回ゲストとしてクラブに参加しました。それから会員になるのですが、やはり怖くてクラブには行けなくなりました。
半年後、やっぱり自分を変えたいと思い、勇気を振り絞ってクラブに行きます。教室のあるビルに入りましたが、教室の数メートル前で足がすくみ、行けなくなりました。行ったらみんなの前で話さなくてはならない、恥をさらしたくない…いつものように、ぐるぐるぐるぐる思考が回り始め、「やっぱり無理 !」と家に帰る決心をします。
他の会員が来る時間だったので、私は柱の陰に隠れて、しばらく身を潜めた後、「もう誰も来ない、よし帰ろう」と帰り始めたら、ちょうどクラブの会長が来てしまって、つかまってしまいました。「どこにいくの?教室はこっちだよ」と言われ、帰ろうとしていたとは恥ずかしくて言えず、しぶしぶ教室へ。
でもその日、ついに決心し、お金を払って会員になります。お金を払ったからには元を取りたいという気持ちが働き絶対また来るだろうと思って。
これが私の人生を大きく変えることになります。
間違っても大丈夫!そのままの自分で居場所を見つける
スピーチクラブで学んだ一番大切なこと、それは…
「間違っても大丈夫!」
アメリカ人でも恥ずかしがり屋で、母国語でも間違いをして、スピーチが苦手な人がいることを知りました。私も人前で話すことで、何度も間違いをしながら、でも他の人に受け止めてもらって、褒められる経験をして、どんどん自信がついてきました。
半年後からスピーチコンテストにも何度も参加し、アメリカ人を負かして、何度も入賞しました。1年後にはクラブの委員長にもなり、クラブをしきったり、他のクラブにも行って地域のクラブをまとめたり、新しいクラブに行って指導をしたり、私は自分の居場所を見つけた感じがしました。
自己を表現するという自分の苦手分野は、克服するために与えられた課題だったんだと気づき、それを乗り越えた時、自分の弱さが自分の強みとなり、幸せにしてくれるものだと気づきました。
その後、ボランティア活動を2年間していましたが、そこでもリーダーになる機会を得ました。またそこでは新しい人が目まぐるしく入ってきましたが、間違っても大丈夫という体験を通して、新しい人たちとも英語で話せるようになりました。
そこでも自分の居場所を見つけられたように思います。
本格的な瞑想、10日間沈黙で10時間瞑想
サイキックの学校に通っていた時から、瞑想を毎日始めるようになりましたが、その後ヴィパッサナー瞑想というものを知ります。それは10日間、1日10時間以上、誰とも話すことなく、もちろんスマホ、メールは禁止、本も読めず、メモも取れない、朝の4時半から夜の9時までほぼずっと瞑想するというものでした。
出来るか不安でしたが、何とか初めて受けてみたところ、素晴らしい体験をすることが出来ました。
2回目には、奉仕という形で、瞑想する方へ食事の提供をするボランティアで参加しました。この体験で、私はこの瞑想のすばらしさをまた体感し、時間があれば、この瞑想に参加するようになりました。
最終的には約2年間、カリフォルニアの瞑想センターでボランティアとして住み込みで働きました。毎日2~3時間瞑想し、自分を見つめ、また同じ志を持った仲間や、長い経験を積んだ先生方から多くの事を学ぶことが出来ました。
日本でのストレス過剰な会社勤め、心理学との出会い
その後日本へ帰国します。
逆カルチャーショックの中、初めての正社員として、障がいを持った子どもたちの支援員として、会社で働くことになります。元々、塾講師や、日本語学校などの指導が本職だったので、子どもたちとまたかかわることが出来て、とても楽しい日々でした。
ただ、会社という組織の中で務めるということがストレスであり、HSPの気質がまた少し見え始めました。本当に自分のやりたいことは何か、本当に自分の居たい場所はどこか、心の声を聴き始めます。私の本当にやりたいことは何だろう。。。
私がつらい時に支えてくれた先生方がいたおかげで、私はたくさんの事を学び、大きく変わりました。私の居場所はこの会社じゃない。そんな時、スマホを見ていて、ふと入ってきた広告が「ライフコーチ」という言葉でした。以前にも興味があったけど、その時はやり過ごしていたライフコーチというものに、もう一度、引き付けられて私はすぐに講座を取ることにしました。
またライフコーチの手法と同時に、悩んでいる方の根本の問題も解決していけるようにしていきたい、という思いでカウンセリングの心理療法、そして自分を救ってくれたヒプノセラピーを学び始めました。
心理療法カウンセリング ✖ スピリチュアル
ライフコーチやカウンセリング、心理療法を学んでいくと、自分自身にもカウンセリングや心理療法のワークを受ける機会がたくさんあります。
自分自身スピリチュアルな事を長年に渡り学び、自分を癒し続けてきましたが、カウンセリングを受けることで、自分の中の奥に眠っていたものが、またどんどん癒されていきました。号泣しながらカウンセリングを受けたこともあります。解消されたと思っていた父からの影響も、まだまだあったんだと気づくことも何度もありました。
スピリチュアルな考えを取り入れて生きていくと、心が楽になります。ただ、心の奥のブロックやいらない信念を取り去っていくには心理療法を取り入れて行くと、グンと早く癒しが始まります。
こうして、会社勤め、日本の文化、など新しい環境でストレスな日々を送る中、カウンセリングのセッションを受けていく中で、また自分の核に戻れることが出来ました。
辛くて、寂しくて、何か足りない、心が苦しい、いろんな悩みを抱えている方が、少しでも楽になって、幸せになって、自分のまま、そのままで、「私に生まれてよかった」と思えるように、少しでも役に立てることがあるならと思い、カウンセラー&ヒプノセラピストになることを決めました。
一歩踏み出せれば、人生が大きく変わる
これを読んでくださっているあなたも、悩みがあって、心が苦しくて、このページにたどり着いたんだと思います。
ずっと誰かに相談したかった、カウンセリングを受けたかった…でも怖い…
初めてカウンセリングを受ける時には、不安で緊張で、いろんな葛藤が出てきます。
良くなりたい、でもうまくいかなかったら… ぐるぐるぐるぐる…
私も勇気がなくて、ドアのところまで行っては帰った経験が何度もあります。 電話番号を入れては、「かける」のボタンが押せなかったことも何度もあります。
ほんの少しの勇気を出して、お話しだけでもしに来てみてください。
今悩みがあるのは、もしかしたらチャンスかもしれません。
私のこのホームページにたどり着いたのもチャンスです。
最初の一歩はとても勇気がいります。
後から振り返った時に、あなたはこの「一歩目の」ことを笑って話せるようになります。
自分の笑って話している姿を想像してみてください。
心の荷物をおろして、わくわく心踊る日々を送ってみませんか?